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昭和五十三年十一月二日 朝の御理解


御理解 第九十三節 氏子は神の守りをしておるものを神と心得て参詣する、守りが留守なら参詣した氏子は、今日はお留守じゃと言おうが、神の前を開けておく事は出来ぬぞ、万事に行き届いた信心をせよ、常平生心に上下を付けておれ、人には上下があるが、神には上下がない、人間はみな同じように、神の氏子じゃによって、見下したり汚がったりしてはならぬぞ。


これは正しく、お道の教師に対しての御理解なんです。けれども私共が、お道の教師の、お取り次ぎをさせて頂くものの在り方と云うものの、信者であり、信奉者である皆さんも、分からせて頂かなければならない。
昨日、宮崎の日向教会の先生から、手紙が参っております。一寸読んでみましょう。
 謹啓、親先生に於かせられましては、日夜の御取次、御祈念下さいまして、有難く厚く御礼申し上げます。八月十六日に、くノ一の修行の御教えを頂きましてより、本気になって取り組ませて頂き。不行き届きながら、一心に行じさせて頂くようになりましてよりは、日に日に身にも心にもおかげを蒙って、何事も心配せずともよい様に、不思議なお繰り合わせを、次々に頂かせて頂き。今日、勿体ない大御影を蒙らせて頂いておることを、心からお礼申し上げる次第でございます。あのお夢に頂きましたように、今は向こう岸に向かってスイスイと泳がせて頂いていた。丁度あの感じのように、日々がスイスイと心清々しく、はりきって御用に使わせて頂いております。
この清々しい有難い勿体ない心で、どうぞ教祖大祭が麗しく御用奉仕のおかげを蒙らせて頂きますよう、何卒よろしく御願い申し上げます。
若先生に於かれましては、御遠路本当におご苦労様にございますが、よろしくご指導賜りますようよろしくお願い申し上げます。この一年間に、教会家庭は目覚ましいおかげ受けて参りました。みな健康で円満で、学校のテスト毎日の成績も著しく向上を見せ。先日は、中学二年の富美子が、(由美子が富美子、由美子これは双子であんなさるですが)四国、中国の修学旅行を無事おかげを蒙らせて頂き、厚く御礼申し上げます。疎遠になっておりました、信者さんが熱心にお参りが出来られるようになりましたり。先達ては、胎児性肝臓傷害の二歳の子供さんが、失明したのをお取次をさせて頂いて、目が見えるおかげを蒙られたり。谷村久美子も、親先生の御取次を頂いて以来、腫物が大きくならずに、日々健康を保たせて頂いて、御用が出来させて頂いております。との電話がございました。本当に、次々に願い出られますことが、奇跡的におかげを蒙らせて頂いて。これぞ、親先生のお徳の表れと、心から御礼申し上げ。いっそう心を引き締めて、日々の修行が取り組ませて頂いております。何卒、大きく大きくお役に立たせて下さいますよう、御取次御願い申し上げます。合掌
滝口寿八と、教祖大際は十一月七日、午後一時より御奉仕させていただきます。と云うお手紙なんです。
皆さんもお聞きになったと思いますが、八月十六日の夏の御大祭の頃が、一番まあ苦しい術ない。先生が、もう愈、こんなに信者も減ってしまって、信者も少ないなら。自殺を覚悟して、遺言まで書かれたと云うくらいでしたよね。
その時、御自身はお参り出来ませんでしたけど、奥さんがお参りしとりました。そして、あのくの一修行を聞いて帰ったんです。もう夫婦のものが感動されましてね。それ以来と云うものは、自分の夫ながらも御決界の奉仕に、一生懸命に奉仕させて頂くので、ご主人を拝みたい様な心が。今まで、かってなかった心の状態が開けて来ましたと。言うて奥さんから、手紙が来ておりました。
例えばお道の教師がね、本気で間違いのない修行に取り組んで。それこそ御結界、ここに座っておることが一番有難い。と云う心の状態に、ならなければなりませんけれども。なかなか以て有難くなれません。それこそ、裏へ引っ込んでテレビども見とこう、お参りがあったら御結界に出てくる。と云った様な教会では、おかげが受けられんことが分かりますね。
夫婦のものが、本気でくノ一修行に取り組む。だからこの辺になると、教師も信者もないことが分かります。皆さん、あの時の御理解をいっちょ思い出してね。本気で、ひとつくノ一修行に、一家中の者が取り組んでごらんなさい。
おかげと云うものは、手の平を返すようにあるんです。
盲人が目が、見えるようになって。助からん子供が、助かるようになったり、次々と奇跡が現れておる。その時には、離れておった信者が帰って来て、熱心に信心を進めておる。と云うようなおかげを、今の手紙の中に戴きましたが。それは今日の御理解から云うとです。お広前を開けてはならん、御結界を開けてはならんと。教えておられるけれども、それがなおざりになっておって。人が助からん、教会が繁昌せん。と云うておるだけではつまらん。
やはり本気で、くノ一修行に取り組んで。しかも先生が、本気で御結界の奉仕に命を賭けられる程しの、一生懸命になられた時に、手の平を返すように。今、聞いて頂いた様に、おかげになって行くのです。
だから、これは取次者、教会だけのことだけではない。私共が、本気でその気になってです。くノ一修行に、ひとつ夫婦が、家族の者が本気で取り組んで、おかげを頂いたら。皆さんの上にも、手の平を返すようなおかげを頂くことは間違いない。金光様の御信心はどうでもね、教えを頂き、それを行じなければ。しかも間違いない教え、絶対とここで云われる。絶対の道が開けれる教え。それは皆さんも、段々に合楽の御理解がどう云う性質のものか、内容かと云うことはご承知の通りですから。聞いて詳しくなっただけではいけません。
もうその後に、手紙が参りました。もう本当にくノ一修行の。本気で取り組んだら、有難いと云うことの。手紙をこの間に、何回も頂いておりますけれども。昨日、来ておりますこの手紙からです、ね。手の平を返すようなおかげ、と云うことを感づるでしょうが、ね。
どうでも私共がね、教えを本気で行じさせて貰う。しかも、家族の者がです。一つ、これで行くぞ、この生き方で行くぞと。何かそこに頂くも、感ずるものがあるなら、それを本気で行の上に表わして行くおかげを頂いて。
それこそ昨日頂きますように、日々を有難い輝かしい信心生活。自分の心の状態を、いつも本気で見極めさせてもろうて、改まることに、清まることに精進させて頂ただく。
これは正しく、お道の教師に下さった御教えですけれども。教祖様が仰る通りにです。氏子は、取次の者を神と心得て、神と思って参ってくる。だから信者を、ガッカリさせる様なことではならんぞと言はれる。ここでは、そこんところの働きが、日々この様に繰り返されておる。そこで、こんど頂く側の方として。今の、その気になって本気で行じて行けば、愈私共の願い以上の、願いが成就して行くことにもなるのです。ね。
一つ、手の平を返すようなおかげを頂くためにも。本気で、その教えに取り組ませて頂くと云うことですよね。どうぞ。                                                                                                                                                                     、                                   っ